医師
「先日の検査について電話ではお伝えしづらいことがありまして……至急お越しください」
この日病院からかかってきた一本の電話。
いま僕がウェブライターをしているのも、こうしてブログで情報発信をしているのも、すべてはこのときからつながっています。
それから数年の間に味わった挫折経験と、一生をかけて達成しようと決めた目標こそが、いまの僕の原動力です。
自己紹介。おしょうさんってどんな人?
その話をする前に、 ちょっと簡単に自己紹介をさせてください。
Webライターを目指すことになったきっかけ
フリーランスになって半年ちょっと。月収は50万円を超えることが増え、Webライターとしてある程度の稼ぎを得られるようになってきました。
しかし、数年前。
同じようにパソコンに向かっていた僕は、今とはまったく違う状況にありました。体も心も「文字どおり」傷だらけでした。
25歳で新聞記者を退職した理由
大学では社会学を学び、卒業した後は、東京にある新聞社に記者として入社しました。
小さくて古いけれど、大学生活も就活も全然まじめに頑張らなかった僕を拾ってくれた優しい会社でした。
記者としてどころか社会人としてのマナーも何もわからないなりに、失敗をくり返しながらなんとかかんとかやっていた中。
ある朝、小さな違和感を体に覚えました。
なんだか食欲がわかず、食道の下あたりがチクチクと小さく痛むような感覚。
念のために受診した数日後、「至急、ご家族と一緒に来てください」と病院から電話がありました。
「胃にガンがあります」
そう告げられたのは、25歳の夏のことでした。
「死ぬってことですか?」
訳もわからないまま胃カメラやらバリウムやらを飲み込んだ結果、聞かされたことは「ステージ3の可能性が高い」。
ステージ1がいわゆる「早期発見」で、ステージ4は「末期ガン」。そのわずか一歩手前にいると説明されました。
骨折も病気もしたことがない健康体だったのに。若い自分には無関係だと思っていたのに。
25歳にして突然目の前に突きつけられた「死」の存在。
「先生、僕 死ぬかもしれないってことですか?」
僕がそう尋ねたとき、隣にいた母と姉は声を上げて泣きました。
休職をし、すぐに手術に向けて話が進み始めました。
ガンが広がっている可能性の高い胃袋の上部4/5を切除し、食道とつなげる手術です。
「診察ではステージ3に見えるけれど、実際の病状はお腹を開いてみないと分かりません。覚悟しておいてほしいのですが、もし胃袋以外にも転移が広がっている、すなわちステージ4に達していた場合には、すぐにお腹を閉じて手術を中断します。」
医師の言葉を聞いた母と姉は、僕が手術室に入ってからの1時間、赤く光る『手術中』のランプが消えないようにと祈り続けてくれたそうです。
幸いなことに転移は見つからず、ランプが消灯したのは開腹から9時間が過ぎたころ。
そしてさらに幸いなことに、実際の病状はステージ1B(早期発見ではないけれど早い方)だったことがわかりました。
食べられない、動けない、働けない。何も頑張れない日々
お腹に空いた10数カ所の切り傷と引き換えに、なんとか一命を取り止めることができました。
しかし、胃袋のほとんどを失ったことで、生活はガラリと変わります。
手術後はじめて口にする食事は、さらさらのおかゆをもう一度お湯でうすめたような「白く濁った何か」。
たったお椀一杯のそれを、1時間かけて食べるように言われました。
そこまで気をつけていても食後は気持ちが悪くなり、しばらく横になっていなければなりません。
食べているか横になっているかで一日が終わり、一週間が終わり、体中の筋肉が痩せ細っていきました。体重は10キロ近く落ちました。
退院から3ヶ月ほど経ったころ、少しずつ食べられるようになってきました。
かと思えば今度は、食べものが腸に詰まる「腸閉塞」に苦しめられました。
5分も歩くと下腹部が痛み、20分ほど座って休んでいなくてはなりません。
のたうち回るような激痛に襲われて、3度ほど救急車で搬送されました。
日々当たり前だった「食べ物を口にすること」が、命がけのおそろしい行為に変わりました。
体重はふたたび10キロ落ちて、手術から半年間であっという間に20キロほど軽くなりました。
仰向けになるとあばら骨が皮ふに刺さって痛み、横向きになるとひざの骨と骨がぶつかって痛む。眠れない夜が続きました。
Webライターへの1回目の挑戦。結果は挫折
体が変わってしまったことももちろんですが、「何も頑張れていない日々」を過ごすことはそれ以上に苦痛でした。
保険と傷病手当金のおかげで当面のお金には困りませんでしたが、「こんな寝たきりの体になってふたたび働けるようになるのだろうか」という不安は日々膨らみ続けていきました。
そこで休職期間中、クラウドソーシングサイトを使ってWebライターに取り組んでみました。自宅で休みながらでもできる仕事を探そうと考えたんです。
しかし、1ヶ月で得られたお金は最高でも8万円程度。生計を立てるには遠く及びませんでした。
成果を出せなかったのは、体調のすぐれないことも一因でしたが、「すぐに再発するかもしれない」「もしかしたらまた死と向き合わなければならない」という状況の中、
将来に向けてこつこつと努力を積み上げていこうという気概と勇気を持てなかったことが最大の原因だったのだと、今になってみれば思います。
いろいろなことがどうでもよくなり、やけくそのようにお酒ばかり飲んでいました。
どうにかして、頑張れない自分から目を背けようとしていました。
記者に戻って取材に飛び回る姿も思い描けず、新聞社も退職することになりました。
妻と息子に支えられながら一歩ずつ復活。
そんな心も体も傷だらけの状況から救ってくれたのは、妻(当時は彼女)と、その後誕生した息子の存在です。
ぼろぼろの僕に向かっていつでもくり返し「大丈夫だよ」と陽気に声をかけ続けてくれた妻の言葉は、どんな治療薬よりもやさしく痛みをいやしてくれました。
また、生まれたばかりの息子は、「何もできなくなってしまった」と思っていた僕よりもはるかに軽くて弱々しく、なんとか守ってあげなくてはいけないと思いました。
やけくそになっている場合ではないと思いました。
健康な人ほどはうまくできないかもしれないけれど、奥さんと息子と一緒に笑っていられるように、今できることを一生懸命やろう。
妻と息子の存在が、もう一度心を奮い立たせてくれました。
「家族を一番に大切にする」
「家族と一緒にいる時間を最優先に考える」
いま僕がモットーにしている思いは、7年前、2人に救われた経験からつながっています。
Webライターへ2回目の挑戦。インタビューライターとして独立
その後、少しずつ、けれど着実に体は回復していきました。
「男性にしては少食?」というくらいの量は食べられるようになったし、中学から続けているテニスを思いっきり楽しめるまで体力も回復しました。
2019年には、広々とした場所で子育てをしたいと思い、山梨へ移住しました。
NPOにライターとして勤め、のちに、記事企画や進行管理を担当するプロジェクトリーダーも任せてもらえました。
経営者や起業家へのインタビュー経験を積んだり、SEOやWordPress、サイト解析など、Webライティングに必要なことについてゼロから学び直したりしたのち、2021年の夏に退社。Webライターとしてふたたび独立してから、今1年が経ちます。
現在ライターとしての活動状況は
現在は、SEOについての解説記事や、経営者へのインタビュー記事などを中心に執筆しています。
最近では、文字単価15円ほどを中心にお仕事をいただき、月収は50〜60万円を超える月が多くなってきました。
普段からTwitterなどでよくしてくださっているライター仲間のみなさん。
そして何よりも、「パパなら絶対できると思ってたよ」といつだって笑顔で待っていてくれた奥さんのおかげです。本当に感謝しています。
先行きの見えない不安の中でタイピングをしていた6年前、「今の自分にできること」から一歩を踏み出してみてよかったと思います。
20キロも痩せ細った当時の一歩は、きっと生まれたばかりの息子と同じくらい非力な一歩でした。
それでも息子が歩けるようになったのと同じように、息子が言葉を話せるようになったのと同じように、僕も少しずつ元通りに力をつけ、気づけば元以上にできることが増えていました。
いま、仕事も暮らしも本当に充実した時間を過ごすことができています。
今後も「家族を誰より大切にする」をモットーにしていくことはもちろん、良くしてくださっている方々やこれから新たに挑戦していこうという方の役に立てるようにも頑張っていきたいと思います。
このブログを読んでいる方へ 伝えていきたいこと
このブログでは、Webライターの方や、これからライティングに挑戦しようという方に役立つノウハウやテクニックを、可能な限り具体的に紹介しています。
特に「今日から実践できること」というのがコンセプトです。
「頑張りたいけど頑張れない」
「今の状況を抜け出したいけど、何をどう頑張ったらいいか分からない」
という不安やもどかしさは、僕自身が日々感じ苦しんできたことだからです。
その不安は僕にとっては成長に効く薬でしたが、これからWebライターの道を歩く方には、できることなら同じ苦しみを味わってほしくありません。
このブログを通じて伝えていく情報が、現状を抜け出して一歩上を目指すWebライターにとっての救いや希望になることを願っています。
これまでの活動内容とポートフォリオ
主な執筆実績やポートフォリオについて紹介します。
インタビュー記事
Adobe公式ブログ:副業ワーカーの活動内容を紹介
- 「動画編集スキルが“人生の選択肢”を与えてくれた」副業の動画編集スキルで見つけた、新たな働き方
- 副業の動画編集スキルが本業での強みに
- イラストレーターを経て「好きなことをもう一度仕事に」動画編集の副業を通じて叶えた新たな働き方
- 「副業を始めてから嬉しい変化ばかりだった」動画編集の副業が専業主婦におすすめの理由とは
- 「動画編集の副業のおかげで本業も充実している」収入やスキル以外の副業のメリットとは
Webローカルメディア:地元企業をインタビュー取材し、求人情報などを紹介
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そのほかの執筆記事や実績
URLを公開できませんが、ほかに以下のような執筆を経験してきました。
- SEO施策についての解説記事
- 経営者や起業家へのインタビュー記事(一部上場企業のCEOなど)
- 山梨県が開催する観光イベントについてのレポート記事(国内最大手旅行会社から孫請けの形で受託)
また、2022年3月からはクラウドワークスが主催する「取材ライティングコース」の添削メンターを任せていただいています。
インタビューいただいた記事
軽いノリで始まった移住計画。その先には、豊かな暮らしがありました。|山梨ライフスタイル|甲斐適生活